存在十題

湖と孤独
吸血鬼のひび割れた鏡
泡沫に消えぬ
救われています。
霞んだ指輪
貴方が決めることじゃない
絶対的存在感
存続を確信する日常の中に、
きっと壊れる
君が在ることの幸せ



悠久十題

永劫
不変
恒久
遥昔
悠遠
刹那
無常
流水
寸陰
一瞬



title:群青三メートル手前



























































































水面に映った虚ろな現。
水中の水鳥は足掻けぬ儘に水を掻く。

成る程自分程現に在って虚な者はいない。
存在を確立する程の材料は無く、かと言って隔離する程の根拠も無い。
不確かな立ち位置。
目に映りはするのに風でも移ろう。
此処に居場所は有るのだろうか。
本当に、この水面に。
「なぁ、俺は、」

何処に居るべきなのだろうか。







――――――――――
お前なら判るのだろうか。
水面に映る水中に沈んだお前なら。
教えてくれ、俺は何処に行けば良い。

























































「だったらお前は俺のマスターだな」

どうして其所まで卑屈な考え方を出来るのか。
一度解剖でもして思考回路を読んでみたい、と我ながら抜けた想像に逃避した。


燃料を欠いた紅い赤い焔は、しかし依然として燃えている。
既に頼りなかった焔は光の塔で遂に終える筈だった。
世界に証すら遺せずに。
世界の灯にすらなれずに。

それがどうだ。
塵へ還る定の焔は火を飲み込み生きる糧を得た。
火としたのは一万もの命。
同族を狩り、短くも生き長らえたのだ。
それはさながら同じ形の者を喰らう吸血鬼の様。


「頭まで劣化してやがるのか。救い様がねェな」
「何だ、アッシュが助けてくれるのか?」

笑えない冗談だ。

「手前の面倒位手前で見ろ」

“同じ”だと言い切った相手に救いを求めるのか。
吸血鬼とさえ称せる自らと同族の者に。
随分と溶け切っている思考にもう笑うしかない。
割れた虚像を見ない様に翡翠に蓋をした。







――――――――――
俺が吸血鬼だというならばお前は鏡だ。
闇を呑んだ焔は影をも取り込み同じ姿を写さない。
もう一つにならない割れた鏡。

























































願い事があった。
それは消え行く身体を持って尚、帰依を許さず力を増し。
『世界』を揺るがそうと波に為る。



「ローレライ」

栄光の地の為り損ないが地に落ちる。
影向を赦されなかったそれらと共に降下を続ける陣。
光華するその上で赤い髪の青年は呼び掛けた。
焔を状と為したのが応えの代わり。
陣を囲む焔は一時人の容を作り直ぐに溶けてはまた容を紡いだ。

「一つ、頼まれてくれないか」
「私に可能ならば」

予想通りの答えに一度微笑し、悲哀を微少に混ぜた。

「あんたの力で『俺』を無くしてくれ」
「…意味を図りかねる。お前の身体なら我に頼まずとも数分で消滅する」

物理的にはそう。
そう云う意味じゃなくて、と青年は首を振る。

「ずっと考えてた事があるんだ」
「生きてる事自体に意味はない。俺が俺を認めれば俺は此処に存在出来る」

器も場所も関係ない。
自分が在るとするなら何処でだって。
それが『俺』の答。
でも。

「人の思い出の中にも、その人が認めた『俺』が居るんだよ」

やや俯き加減の目は虚空に『世界』を見る。
それは哀しみと相反する情を齎す穀雨。
染み渡る前に瞼を閉じた。

「皆が生きる『世界』に俺は要らないんだ。俺の残り滓は皆の邪魔になる」

もう進む事はない残滓。
棘を残す唯一の残余。
ならばいっそ。

「だから俺に関った全ての人から『俺』の記憶を消して欲しい」
「それは皆の願いと相入れない。知った上で尚望むか」
「あぁ。本当ならあんたにも譲りたくない」

出来るものならこの手で、と翡翠の目は笑った。

「…記憶も元を正せば音素。不可能ではない。只其の者に負担を掛けたくなければ時間を要する」
「ありがとう」

安堵に心から笑みが溢れた。
これで俺の『世界』は守られる。
それが自分の手で出来ない事は少し、残念ではあるけれど。
焔は何か言いたげに状を揺らしたが白んだ瞬間上空へ伸びる橋となった。

「ありがとう」

もう一度謝辞を口に乗せる。
ありがとう願いを聞きいれてくれて。
ありがとう気付かない振りをしてくれて。
本当は。ほんとう は …



全てが白くなる瞬間、やっぱり『世界』が見えた。
6人と1匹で構成された、俺の『世界』。







――――――――――
ああ、本当は。
忘れて欲しい何て嘘だよ。
俺を『世界』の一部にしてくれますか。

























































「本当に純粋培養ですねぇ」
「…いちいち引っかかる言い方するなぁ」

軟禁状態で尚且、如何仕様もない人間であった自分が知る事など限られている。
あれ以来もう思考する事を止めないと誓った。
強がっても仕方がないなら解らない事は訊くのが一番。なのだが。

早くも後悔し始めていた。

恥を承知で訊いてるのに、と膨れると、これは失礼、と大仰に謝罪が述べられる。
その姿さえ芝居めいて苛立ちは新境地に達する。
しかも教えてくれるその内容は専門用語が多く、今度は用語の意味を訊くハメになる。
その度にこれ見よがしの溜め息。

絶対ワザとだ。寧ろワザととしか思えない。

それでも。
律義に答えてくれる。
答えを見つけるまで待ってくれる。
いつか必ず訪れる悪夢の共犯者でいてくれる。
本当は、どこまでも優しい人間なのだろう。

「ほら、ルーク。頭がお留守では折角の説明が無駄になってしまうではありませんか」







――――――――――
…訂正。
言葉も態度も全然優しくない。
でも『優しくするな』と面と向かって言えるのは、あんただけなんだ。

























































栄光を掴む者は精霊を捕らえて神になる。
しかし身に余る精霊は軆を蝕み、力を与えはしたが焔をも齎した。
精霊の力を借りた蝋の羽根は空に届く前に焔に溶け、焔共々跡形も無く灰になってしまうのだ。





高い耳鳴り。
懐かしい声に春の陽光を感じて意識を手放した。



「…ユリア」

丁度通り縋った扉の向こうから世界で最も有名な名が紡がれる。
呟きにしては大きく呼び声にしては小さな響き。
しかしそれは声量に反して呼び掛けの色を強く伴っていた。

「ユリア」

もう一度発せられた名は間違いなく彼女のもの。
それでも名の先に在るのは自分だと、何故かそう確信した。

「私はユリアじゃないわ」
「では呼び方を変えようユリアの血を継ぐ者」
「名前、という概念は意識集合体には無いのかしら。ローレライ」

扉の先にはベッドに腰掛けた赤い髪を持つ青年の姿があった。
顔の造形が変わった訳ではないのにくつくつと笑う様は全くの別人。
見慣れた軆は世にも名高い精霊のものとなっていた。

「名等記号に過ぎない」
「でも個を示す大事なものだわ」
「それは済まなかった、ティア」

此れで良いのか、と楽しそうに応酬を繰り返す精霊に目を眇める。

「用件は何かしら。その軆は貴方が降りるには荷が重い。早めに出てって欲しいの」
「これは随分と嫌われてしまったな」

緊張した空気も精霊の笑みで相殺される。
それがまた鳶色の髪の少女を苛立たせた。

「怒りは眼を曇らせる。利点は無いぞ。私は伝えに来たのだ」

刹那、息も許さぬ重圧が部屋を支配する。
変貌を遂げた空間は荘厳な静謐を造る。
侵し難い、色の無い密室。
神の母が御使いに会ったあの時の様な。

「時は来た。霞んだ契約は息を吹き替えし栄光は焔に焼かれるだろう。我を解放し環へと還すのだ」


「待っている」


役目を終えた軆はグラリと傾ぎベッドへ倒れ込んだ。
慌てて駆け寄り覗き込む。
赤い髪の青年は何事もなかった様に安定した呼吸を繰り返して少女を安堵させた。







――――――――――
精霊直々の御出座しならこの血の契約を果たしても良い。
霞んだ指輪は甦り、焔は全てを焼き尽すだろう。
そして焔は灰にならず永遠に契約と共に生きるのだ。

























































「何て可哀想」

そう聞く度、今まで感じた事もない衝動に駆られた。
言い様のない不快感。
純度の高いそれを抑え込むには多大な労力と理性を費やさねばならなかった。

わかっているのだろうか。
同情や憐れみが彼から最も掛け離れたものだという事を。
わかっているのだろうか。
その言葉こそ彼から最も逃げ道を奪う事を。
苦悩も、恐怖も、孤独も。
何一つ知らない癖に。
彼を形造る片鱗を知ろうともしない癖に。

無遠慮な言葉と共に、もう一つの要因が別の方向から私を苛立たせる。
預言は成就しない。
それはただの可能性。
そう言ったのは誰?







――――――――――
まだ早いの。
その焔が消えてしまうまで。
私に夢を見させて。

























































「ヴァン師匠ってカッコイイよなー!」
「ルーク、兄はまだ何を企んでいるか解らないわ。盲信するのはどうかと思うの」
「るっせーな。お前の兄貴だろ?兄弟を信用するのに理由なんか要るのかよ」
「私だって…!出来る事なら信じたいわ!」
「まぁまぁ二人とも落ち着けって。ヴァン謡将の考えはまだ解らないにしても確かに凄い人だよな」
「やっぱなー!ガイもそう思うだろ?」
「異例の若さで師範代級の剣士にして賢士。しかも神託の盾きっての第七譜術士だなんて完璧過ぎですよねぇ」
「直轄には六神将もいますし、信頼も厚い様に見受けました。何よりあの頭脳を敵に回すのは厄介ですね」
「だーかーらー、ヴァン師匠が敵になるなんて有り得ねぇっつってんだろジェイド!」
「可能性の上での話ですよ。ムキになるなんてお子様ですねぇ」






――――――――――
喧騒が遠退く。
見送る紅い目のブレを映した者はいない。
「本当に只の可能性で済めば良いのですが」

























































人間とは不思議なもので死に直面すると自分が生きた証を残したくなるらしい。
名を残そうとも偉業を成し遂げようともこの身は滅ぶと云うのに。
意思と過程から結果を導いたこの器は壊れてしまうというのに。
死が虚無であるのと同様に過程の消失が結果の虚ろ。
捩じ曲がった結果に証を求められる程の価値はあるのか。
何かを遺す意味は。
それでも赤い髪の青年は笑って答えた。

「意味なんて後付けで良いんだ。誰かの中に欠片が残ってれば、それだけで俺は生きられる」

時々、不可解な事を言う。
残ったとしてもそれはもう彼本人を創っていた物ではない。
未だ死を完璧に理解している訳ではないが、自分が認識しているそれは端的に云えば喪われる事。
無だ。
亡くなれば無くなってしまう。
それでも。
それでも青年は少し哀しそうに微笑んだだけだった。







――――――――――
何故笑う。
泣いて喚いて縋れば良い。
その顔こそ断絶を予感する異常であるのに。

























































生き物は全部生まれ変わりで出来ているらしい。(輪廻転生って云うみたい。本で見た)
一つの生が終わったら違うのになってもう一回。
グルグルの繰り返し。
でもその中で人間だけが自分が生きた事を残せるんだ。
コレってスゲー事なんじゃねェ?
他の生き物は輪の中で同じ事してるのに人だけが同じじゃない。
自分がいた事、自分がした事を、残せるんだ。

どんなに長生きしても必ず最後は死ぬ。(諸行無情っていったっけ)
それは凄く、怖い。
でも“自分はここにいたんだ”って。
“もっともっと生きたかったんだ”って。
ここで大声で叫んでたんだって。

エゴかな、とか思ってたらジェイドに“残す事の意味は”って聞かれた。(すげぇタイミング!)

「意味なんて後で付けてくれれば良いんだ。誰かの中に欠片でも残ればそれだけで俺は生きられる」

残れば良い。
人の中にも、時代の中にも。
で、思い出してくれれば俺は死なない。
何時までも生きていける。

この体が亡んだって。







――――――――――
そうやって悩んでくれれば良い。
もっと深くもっと強く。
忘れないでいて。

























































おおきな、おと。
がらすだまが、こわれるよう、な。



「乖離…?」
「ええ、貴方の体はもう長くは持ちません。直ぐにでも入院する事をお薦めします」
「入院したら直るんですか?」
「完全治癒は難しいでしょう。進行を遅らせる事しか出来ません」

きっぱりと真実を突きつける。
偽りのない言葉が首筋に閃く。
嘘が無いからこそ鋒は救いを残した。

「…この事、皆には内緒にしておいて貰えませんか」

気を遣われたくない、と続ければ医師はそれ以上追撃して来なかった。
助かったと思うと同時に新たな問題が行く手を阻む。
嘘が不得手な自分に見通す目を掻い潜れるのか。
それこそ不可能に等しく、退路も既に無い。

それでも白刃の絶望を身の内に残しながら戦場へと舞い戻る。







――――――――――
やり遂げなければならなかった。
でなければ最後の欠片が壊れてしまう。
ならばこの首が離れるその時まで。

























































「あーあ、行っちゃった」
「素直じゃありませんねぇ」
「お前が気にする事ないよ、ルーク」

いつも気遣いを忘れない金髪の青年の温かさに自然と頬が緩む。
しかし先程のやり取りの名残が笑顔になる筈だったそれを神経質に引き攣らせた。

どうして何時もこうなってしまうのだろう。
同情した様に聞こえてしまったのだろうか。
それとも全てを奪ったレプリカ風情でありながら“一緒に行こう”とは厚かましい、と思われたのだろうか。
自分の落ち度に思い当たる節が多過ぎて溜め息しか出ない。

この居場所を望むなら、譲り渡す覚悟まである、のに。

「ルーク、」

控え目な声。
あぁ、また心配をかけている。

「ごめん。大丈夫だよティア」

今度こそ笑えただろう。
だって幸せな事を考えていた。
こんな風に皆と出会えて旅をして笑い合えて。
幸せ、だと感じられる為の器がある。

それを与えてくれたのは他でもないお前なんだ。

どんなにこの身が疎まれていようとも構わないけれど。
俺は感謝してるんだよ。







――――――――――
ありがとう、アッシュ。
ありがとう、俺の半身。
こう言うとお前は怒るかも知れないけど。

























































「もう、ここには戻らない」

完成したガラス玉がリン、と鳴る。
凛と成る響きは何処までも拡がり場を支配した。
誰もが声を上げられない。
それが別離を示す離別の言葉だと理解出来ても。
思考が解離し覚束無い。

「どうして…?」

初めに静寂を越え声を出したのは亜麻色の髪の少女。
懐疑を表した言葉は他の金縛りを解く波紋として広がった。

「…そうだよ、何でっ!?ずっと待ってたのに!」
「皆貴方の帰りを待ちわびていましたのよ?ですのに何故そんな…」
「もう全部終わったんだろ?お前にも幸せになる権利はあるんだ」

口々に乗せられる説得。
淡い期待が稀代の青年に向けられる。
何処かで無駄だと知りながら。
何処かで無為だと知りながら。
突き動かされるように、紡ぐ。

「もう俺は…皆が待っていたルークじゃない」

死刑宣告。
ルークはあの時消えてしまった。
紛れもなくあの時に。
融けて一つになったガラス玉では覗き込む目を映せなくなった。

「此処に要るべきじゃない。俺の役目は終わったんだ」







――――――――――
だからさよならだ、と儚く笑って。
幕引きの合図をした。

























































「ルーク!!」

制止は空しく空に静止し闇夜に溶けた。
段々と月夜に浮かぶ白磁の花が赫の背を塗り潰す。
今夕の痕跡もなく。
虚勢も虚偽もなく拒絶を現わにする背には何も届かない。
何も。
何も。
残されたのは一度は解体され一人を欠いた異色の面々。
残したのは一つの完結した確約を纏う一握りの簡潔な残滓。

「……どうして…?」

口をついたのは同じ言葉。
亡羊と広がる茫然の中で揃った意見はそれだけ。

「何でまた行っちまうんだよ…!」
「もう一緒にいられないって事なの…?」

解答者のいない疑問は拾われる事なく空中に散っていく。
月に照らされ花は淡い光を帯びて首を振った。

「引き摺るな、と言いたいのでしょう」
「…どういう意味ですの?大佐」
「言葉通りです。居もしない幻影を追うなど馬鹿げてる、と云う事ですよ」
「大佐!そんな言い方…!」
「えぇ、あんまりですよねぇ。2年も待たせて置いて今更忘れろだなんて臍で茶が沸かせる話ですよねぇ」
「た、大佐…?」

見慣れた笑顔は久方ぶりにどす黒い暗闇を纏い立ち込める。
あの旅以来成りを潜めていた筈なのに。
身内ほど効力を発揮する無差別な笑顔は更に歪む。
凶悪。

「皆さん何をしているのですか?早く追わないと見失ってしまいますよ」
「は?え、でも、ルークは追ってこないで、と…」
「言葉にした訳ではないでしょう。意思を伝えもせず察しろだなんて、そんな虫の良い話現実では通用しないんですよ」
「………」

完全に切れている。
一番執着心の薄い成年がこうも変貌を遂げるとは誰が予想ただろう。
未だ迫力で意識が白濁した状態だが成年の言う事は正当の様に思える。
忘れたくない。
忘れられるものか。

「私、先に行きます!」
「あ、ティアずるーい!私も行く!」
「では何方が一番に捕まえられるか競争ですわね!」

少女達の作る風が渦巻く。
ふわりと白い花が月を捕らえて舞った。







――――――――――
「旦那は行かないのか?」
「年寄りにそこまでの元気はありませんよ」
「嗾けておいて。ホント、喰えないオッサン」
「美味しく戴かれては困りますから」

























































あの時決断を許さず揺るがしていれば何かが違っていただろうか。
得意であり特異な弁論術を用いて丸め込めば何かが違っていただろうか。

いつもそう思う。
今も空を見上げて、そう、思う。
“もしも”等詮無い事。
どう足掻こうが下された決定は結実し決別は現実となる。
覆す事など屈辱的な程不可能。
分かっている。
解っているのだ。
それでも考えずには、鑑みずにはいられない。
この味方にさえ畏怖を与える威風を纏う死霊使いが、だ。

「全く。貴方という人は」

静寂は切り裂かれ晴天は寂滅する。
響く声音に希望を乞わねども天空の帯はそ知らぬ顔。

「いつまで私を待たせれば気が済むのでしょうね」

もう待つのは飽きた。
だが他を求めようとは楊として考えない。
それは帰りを信じて疑わないからか、それとも。







――――――――――
変わらぬ空、変わらぬ世。
見えぬ思いが狂気を映す。

























































覚えているのは黒。
一瞬の強い光に映され焼け焦げ焼き付いた深淵の影。



玉座への扉は今日も代わる代わる人々を飲み込んで行く。
遥々国境を越えてきた商人も入口を潜っては晴々と故郷へと帰って行った。
それとは真逆に。
玉座にまします金髪の成年は沸々と不機嫌を煮え滾らせていた。
それは宛ら限界温度を迎えたやかん。

「陛下、顔が悪いですよ」
「顔色が悪いと言え、顔色と!こんな美丈夫捕まえて何言ってやがる」
「それは失礼を。それでその美丈夫とやらは何処においでですか?」
「…もう良い。今日はお前の相手する気にならん」

匙では足りず槍を投げた。
槍は余りにも遠くへ落ちたためただの点すら捉えられない。
見失った鋒に大きく息を吐こうと思えば向かい合う鳶色の髪を持つ軍人に先を越された。

「悪い商談でもなかったのでしょう?何が不満なのですか」

貴方の機嫌が宜しくないと一介の軍人風情であるこの私が担ぎ出されるのですよ。
いっそ清々しい程の利己主義だけを汲み上げた態度。
浴びせられた言葉は冷たく冷静さを閉じ込めた氷が表層に氷層を広げた。
冴え冴えと思考が磨がれる。

話の内容には何の非もない。
ただ心に沈む氷山に触れてしまったのは。

「いつも、考える。一人でもアイツを本当に覚えているだろうか」
「世界を救った英雄を忘れる程恩知らずが居ると御思いですか?」
「そう言う、意味じゃない」

方舟に乗っていたのに凍える海に取り落としてしまった赤い玉。
最後の最期の闇に落ちるその前の騒然たる壮絶な光を見ただろう。
あの影は焼き付いた影絵の様にポッカリと孔を開ける程氷柱を焼ききった。

「アイツの一生を、本当の意味で覚えている者はいるだろうか」
「さぁ、私には判り兼ねます」
「……。ここは嘘でも同意する所だろう」

呆れた参謀に顔をしかめれば、ウワベが必要でしたか、と綺麗な微笑みを返された。

「キムラスカが忘れたとしてもアレの事は私達が覚えていれば良い」
「…それもそうだな」







――――――――――
忘れる必要はない。
ただ覚えていれば良い。
アレを造った音素は、消えない。

























































生まれ変わりを信じますか




「フォニムって世界をぐるぐる回ってるんだよな?」
「グルグル…まぁ言ってしまえばそういう事ですけど。それが何か?」
「いや、フォニムがぐるぐるしてるんなら生まれ変わるって事もあんのかなーって」
「あはは。そんな事ある訳ないじゃないですかお馬鹿サン」
「あっさり全否定かよ。しかも馬鹿って何だ」

それなりに可笑しな事を言っている自覚はあった様で。
食い下がるも不貞腐れる。
対する大佐はこれを馬鹿と言わずに何を馬鹿とするのです、と乾いた笑みを浮かべた。

「発想は認めますが世界に同じ人間がいない様に音素の結合形態は無限の数があるんですよ?」
「でも、もしかし」
「有り得ません。無理なものは無理なんです」

例え音素がたった7種しか無くてもそれがいくつも連なって出来るこの身体。
パターンは何通りも作り出せる。
同じ人間など有り得ない。
そうでなければレプリカなど。

「むー…じゃあやっぱ死んだら終わり?」
「天国に逝けるかも知れませんよ」
「お前、この前天国なんかないって否定してたじゃねぇか!」
「おや、私はどちらも否定してませんよ」
「卑怯クセー!」

非難を避難してやり過ごす。
赤い髪が跳ねるのを視界の端に捉え目を細めた。







――――――――――
パターンは何通りも作り出せる。
同じ人間など有り得ない。
だが奇跡という軌跡を描く輝石があるならば。
もう一度、出会える道筋を。

























































二人で一つ。
一つが二人。
元は同じ。
同じ基。
じゃあ此処に横たわる溝は。
じゃあ此処で立ち塞がる壁は。




違うと口にしながら同じだと思っていた。
同じ眼。
同じ髪。
同じ体。

コピーだと。
レプリカだと。
オルタナティブだと。

そう思っていた。
だってそうだろう。
部品は一緒。
器は一緒。
だったら中身だって。
勘違いしたって仕方ないだろう。

そう勘違い。
とんでもない思い違いだ。

思考。
志向。
指向。
試行。
嗜好。

全てにおいて違う。
全て。
全て。

腹が立った。
苛立った。

コピーの癖に。
レプリカの癖に。
オルタナティブの癖に。
こんなにも同じなのに。

こんなにも違う。
お前の方が偽者なのに。
どうしてこんなに違う。

どうして。
どうして。
どうして。

どうしてそこにいるのは俺じゃないんだ。

「…当然の事だったがな」

同じ筈がなかった。
思考も。
志向も。
指向も。
試行も。
嗜好も違う。

時間も。
距離も。
違う所を通ってきたのだから。
そして何より。
この似て非なる体が俺達を隔てる。

「気付かなかった俺が馬鹿だっただけか」

体こそ個を作る固とした器。
同じ体が。
同じ器が。

二人を二人たらしめる要因。
同じ、ガラスで出来た。

「だとしたら今の状態をお前は何と言うだろうな」

呟きは坂を転がる玉にも似てあっと言う間に消え失せた。







――――――――――
思考はせず記憶だけ。
それは一つではあるが二人と言えるのだろうか。

























































あの日。
あの時。
あの瞬間に。
私は世界の歯車の一つとして機能し始めた。



「ヴァン・グランツ、覚悟!」

構えたナイフが風を切る。
あの首にナイフが当たれば。
内腑にナイフが当たれば。

終わりだ。


しかし手応えと共にナイフは端に弾かれ紅ではない赤の焔が翻った。

「師匠!」
「邪魔するなら、殺すわ」

無感動に無感情に発する音はナイフの様に澄ましたもの。
研がれて尖ったナイフは形は持たずとも焔の動きを制した。
目的はあくまで其処にいる同じく茶色の髪をした男だけ。
他は要らない。
邪魔しないで。

わたしに。
ころ、させない、で。

二度目の接触。
不意に高い耳鳴りがした。
武器によるものではないそれが高く高く耳を劈く。
傍聴に耐えない音と共に膨張する光が広がって行く。

不味い。

光に飲まれる意識の中ではそう思う事が精一杯だった。







――――――――――
あの日。
あの時。
あの瞬間に。
私は世界の歯車の一つとして世界の鍵と出会った。

























































終末の終幕が下りる。
遠い筈だった近い未来で。




「で、障気がこのまま蔓延したらどのくらい持つんだ」

蒼を映し込んだ眼が、嘘を赦す余裕もない事を補足し細く赤い眼を捕捉する。
対する赤は逸らす事もなく挑戦的に調整された視線を返した。

「アクゼリュスから概算して1年もないでしょう。持って半年前後といった所でしょうか」
「そうか…」

期待は無かったが落胆も無かった訳ではない。
何しろ予想もしていなかった終わり。
呆気ない終末。
それも近い近い未来の余命宣告。

「研究は間に合いません。今の衰えた技術ではどう足掻いても先の時代に遠く及びません」
「わかっている」
「魔界に文献等残っているかも知れませんが、ユリアシティの長老さえ読み解けないものを表層の人間が解読できるとは思えませんし」
「だろうな」
「もう一度フロート計画を実行するにも動力が足りません。セフィロトツリーを補うなど到底、」
「ヤケにお喋りだな。そんなに内堀を埋めて楽しいか?」

眉間の皺を増やした蒼い眼が厭そうに眇られた。
饒舌は情勢の深刻さと比例。
感情は表を飾る表情と反比例。
それだけに事の重大さが目につく。

障気の漫然たる蔓延。
この袋小路を抜けるただ一つの手。
唯一残された終演を終焉させる術。
それは皆が最も厭う方法。
だからこそ目を背けたいのに。

「そんなにルークを殺したいのか」
「そう聞こえましたか?」

口元だけで笑うのは死霊使いお得意の鉄仮面。
難攻不落の籠城。
しかしそれは逆説的に現状と逆接するもの。

「……他に方法は、無いのか…」
「残念ながら」

さわりと短い赤がちらついた。
燃える様に萌える様に色付いた赤い髪。
一つ町を落として再度城下に下った不死たる浄化の焔。
やっと本来あるべき姿に新生でき神聖な光を取り戻したと言うのに。

「やっと、お前自身の人生が歩めると思ったのになぁ」

誰にとも向けられない言葉は空気を支配していた沈黙に黙殺された。







――――――――――
永遠なんて望んでもいなかったのに僅かな時間しか与えてくれないのか。

























































大きな流れ。
止めどない時間。
揺るぎない標。
決められた未来。






「預言に詠まれているのは決められた未来。現在とはその道筋通りに進むものであり、また進まねばならぬものです」
「例えばそれが滅びに繋がっているとしても?」





「導師、その様なお戯れは控えて頂きたい。民が怯えてしまいます」
「下らない仮定の話ですよ。モース、貴方は頭が固すぎます」

小さく笑えば気を害したと言わんばかりの顰め面。
概してこの預言狂信者は随分と盲信的で妄信的な近視眼的見地から意見を述べる。
預言が繁栄だけを齎すと、本当にそう思っているのか。
現在に至るまでも詰らぬ争いを絶やさぬ世界であるというのに。
実に御目出たい事だ。
虫唾が走る。

「それより。あの計画の進度は如何ですか?」
「順調です。しかし…差し出がましいと存じて居りますが本当に…、御続けになるのですか?」
「これもユリアの御導き、です」

笑って見せたのは牽制。
ユリアの名を騙る語り部の隠れ蓑。
たったそれだけで世のものを傅かせる力を持つ。
正に鶴の一声。
ユリアも今や名ばかりの偶像だと、それが紡いだ閉じた未来を拝んでみれば良いのに。

「貴方に出来る最大限で、迅速に、且つ機密を守護する様に」

僕と僕たちと決められてしまった未来の為に。
それを変え得る一手になる様に。

狂信者は深く礼をして下がった。







――――――――――
これは伏線だ。
どこで作用するかも徒労に終わるかも知れない。
だが。
滅びにしか繋がっていない世界とその流れを守ろうとするその狂信者達に。
一矢を報いる為の矢を今ここで。
放つ。

























































「でも良かったんですか?陛下だって御公務が…」
「んなもん隣国キムラスカ次期皇子の御来訪とあればどーにでもなるの」
「はぁ」

大きな吹き抜けの窓から陽光に代わる乱反射の燐光が燦々と降る。
それ自体がキラキラと落ちていく雫は外側の堅牢な水牢を思わせない輝きをサンルームに落としていた。
そんな中相手の湖水の瞳を落ち着きなく伺い見ながらも、あの陰険で鬼畜で眼鏡な幼馴染みが来るのではないかとは敢えて言わない。
金の陛下にしてみればそれは経験から来る予想の範囲内で、反意ではあるが仕方のない事と割り切っているだろうから。
解りきっている事を態々口にするのは失礼だとこの体の記憶から学んだ。

「それにしてもこの紅茶は美味しいですね」
「そうだろう!これは俺が淹れたんだからな!」
「へ、陛下が!?」
「何だ、俺が淹れちゃ悪いのか」
「わ、悪いに決まってます!」

いくら隣国の皇子といえど一使者に王自らがお茶を淹れるなんて話聞いた事もない。
全力で事態を辞退するもそれ自体が自尊を象った存在には敵う筈もなく。
豪奢で豪快な笑顔で押しきられる。

「俺の友人って事で大目に見ろ!」
「…………はぁ」

それでもこの構成は可笑しかったが溜め息一つで切り替えて諦めた。
どうせ何を言っても聞き入れてくれる訳がない。
この生まれ持った性格に幼馴染み達は惹き付けられ臣下達は手を焼いているのだから。

それにしても。
陛下の行動と反比例して紅茶は本当に美味しかった。
これで淹れている人が陛下でなければ暫くは何度も飲みたいとせがんでいる所だ。
もう一口飲み、紅茶の透明度の高い茶色と想起される様々な色にすい、と目を細めた。

「元気出たか?」
「はい。…え?」

元気のない素振りなど自分はしていない。
ふい、と紅茶から目を上げれば向けられている湖水の碧。
静かに揺れている水面を見た時、全て理解し頬が紅潮しているのを自覚した。
悟く目敏い周りの大人にしてみれば子どもの隠し事などお見通しと言う訳だ。

「…ジェイドには俺から言っておきます」
「助かる。此処んトコ逃げ続けてるもんでお冠なんだわ」
「………。善処はします」

見直しかけた金の王に対する評価をやはり見直さなければならないのかも知れない。
しれっと紅茶を飲む相手を見やり短く息を吐いた。






――――――――――
「そう言えば陛下」
「ん?」
「“お冠”って何ですか?」
「……。“善処”は知ってるのになぁ」

























































一瞬とは他人が決める時間の単位。
短く儚く淡く消え、音素の波へと帰依する元素。
瞬く間の、出来事。

消えるのだと溶ける思考に因って辛うじて解ける。
浮力に寄って浮き上がる記憶を閉じ込めた泡沫が溢れ出した。
ただの7年しか時を与えられなかった自分にも思いはあるのだと。
知らしめる様な無数の風船が空を求める。
これが走馬灯と言うものだろうか。

「不思議、だな。お前も、見たのか?」

発した揺らぎは無に帰す。
それも仕方ない事だ。
何せ波打ち際には既に自分しかいないのだから。
伝えたい言葉の波は風船と共に浮かび上がった相手にまでは届かない。
それも今となってはどうでも良い事だ。

「じゃあまた、な」

自分もまた波打ち際に居続ける事は出来ないのだから。
沖へと足を進める度に浮力が増す。
体が空へと赴く。
波打ち際にはもう妨げるものは何もない。






――――――――――
刹那は羅刹の如く苛烈に稚拙さを持って切なる思いを紡ぐ。
でもそれも。
刹那の切なる瞬く間。
誰の目にも止まらない、一瞬。




























































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