有難い?
仕返し
腹痛
銃口の先
君は笑う
赦しをください
暗黙の了解
天然体温計
大人指数計
どこにでもいてどこにもいない























































































「何の呼び出しだ、ティエリア」

言外に俺に用とは珍しい、との思いを籠めて見れば、ふん、と鼻が鳴らされる。どうやら本人さえ本意ではないらしいその顔は、どう見ても誰が見ても不機嫌。いや、呼び付けられたのは俺なのだが。
こういう時、ここ日本の人間は触らぬ神になんとやらと言うのを隣人が教えてくれたが、呼び出されたのでは触るしかないのではないだろうか。そもそも目の前の絶世の美青年は神ではない。そういえばここで言う神は比喩らしい事もその時隣人に教えてもらった気がする。
何となく現実から逃れようと術を探している所に静かな声がその努力を亡きものにした。とても残念だ。

「刹那・F・セイエイ、君の家に連れていけ」
「俺の、家?」
「経済特区・日本での潜伏先だ」

脈絡がない、理由がない。
どこまでも自分主導の青年に眼を見開く事くらいしか出来なかった。
俺の意思はどこに。








「刹那・F・セイエイ、君の処には本当に何もないな」
「すまない」
「体調管理さえままならない様ならマイスターなど以ての外だ」
「以後気を付ける」

調味料だけは以前俺と同じ黒髪を持つ青年が置いていったものがあるので、何も、という言い方には引っ掛かったがこれも比喩なのだろう。口は挟まない。触らぬ神に祟りなし。
青年の言い分も一理あるので殊勝に頷く。
しかし何故こんな事になったのか未だに良く分からない。そっちの方が気になる。

今俺は初めてエプロンというものを着けて生野菜を洗っている。ボールと呼ばれるらしい深めの器に葉が入ったものを渡され一言、洗え、と言われた。このままで食べられるのではないかと抗議してみたが、農薬がどうとか青年が論じ始めたのでお手上げだった。その手の情報を俺は議論出来る程有していない。残念ながら。
そうして今に至る。当の青年はというと俺の隣で何やら機械を唸らせている。その機械というのも勿論俺の潜伏先にはないものだ。



今日青年をマンションに連れ帰った途端、インターホンが来客を知らせた。
扉が閉まって一秒。待ち伏せとしか思えない。あまりのタイミングに俺がガンダムマイスターである事がバレたのかと思った程だ。
警戒しながら出てみるとドサ、と荷物が渡された。宅配だったらしい。そんなに重いものではないが爆発物かもしれない。ただ持たされてしまったので不用意に置く事も憚られる。俺が玄関で固まっていると、部屋に上げた青年がサッと荷物を持っていってしまった。
あまりの優雅さに呆けていて、反応が遅れた。我に返って部屋の奥に消えた青年を追いかけると、既に段ボールは開けられていて。
中から出てきたのは三枚の刃がついた機械、フードプロセッサーだった。



玉ねぎも人参も、既に細かい挽き肉もフードプロセッサーが切り刻む。
どんどん細かくするのは良いのだがこのままではミンチになるのではないだろうか。それはもう玉ねぎであろうと人参であろうと欠片もわからず、原型もなく跡形もなく。
青年の固形物嫌いがこんな形で現れるとは。
溜め息をつくとこの距離では流石に気付かれるので、名も分からぬ葉を洗う事に専念した。もう一つ洗うものもあるし、そろそろ手が冷たい。






――――――――――
今日の食卓は豪華に肉団子ならぬハンバーグ。付け合わせはこれまた滑らかな舌触りのマッシュポテト。
俺が洗った葉とトマトだけがシャキッとした歯応えを残した。

























































「アレルヤから聞いたぞー。お前さん嫌いな食べ物無いんだってな」
「全部お前の差し金か、ロックオン」

主語がない問いを青年はきょとんと受け止めまじまじと見てから、ああ、と声をあげる。
ああ、じゃない。
そして、あまりに自然すぎて流してしまいそうだったが不法侵入だ。これで二人目。いや、コイツが一人目か。

「だってお前、俺の言う事聞かないだろー?」
「………」

否定はしない。
だがコイツの場合、特に気にしなくても良い事まで細々言ってくるのだから、聞く気が失せたとしても同情される事はあっても文句を言われる事はないだろう。信用を無くしたところで自業自得だとしか思えない。

「だから実力行使ってワケ」
「確かに調理器具は増えたな」
「殺風景だったもんなー。じゃなくて、器具は使ってやる人がいないとだな、」
「だから」




「またここに来て作れば良い」




今度こそ狐に摘ままれた様な顔で青年が固まる。
してやったり。今まで散々驚かされたんだ。この意趣返しで済ましてやるのだから感謝して欲しいくらいだ。
少しすっきりしたので未だ固まっている青年の、これから拝めるだろう百面相を絶好の位置で楽しみに待つ。
変化でまず表れたのは、赤。






――――――――――
「今回はオイルサーディンのスパゲッティにしてみました」
「油の、何?」
「小鰯だな。缶詰になってる奴」
「ああ、美味いな。また作りに来るだろ?」
「………ッ、ええ、ええ、是非とも来させて頂きますよッ!」

























































具合が、悪い。
特に原因も思いつかないのだが、腹が痛む。それも朝からずっとだ。
痛みには起伏があって、忘れられる程度の時もあれば、力を入れ息を詰めないと変な汗が出てくる時もある。
原因が分からないので手元にある薬のどれを服用して良いか判らず、痛みに苛々が募る。






「刹那、どうかしたの?」

困った様子で眉を寄せて尋ねてきた青年に、いつもの状態を取り繕った目で見返す。何でそんな顔しているんだ。困っているのはこちらなのに。
普段であればよく気が利くと感心すら覚える所なのだが、残念ながら今の俺にそんな余裕はない。
丁度痛みの波も最高潮で、口を開くのも億劫だ。話したくない。いなくなって欲しい。
なのにこんな時だけ。

「整備の時から思ってたけど、不機嫌だよね?どうしたの?」

こんな時だけ干渉してくるなんて反則だ。詐欺だ。空気を読んでくれ。
苛々する。止めてくれ。構わないでくれ。自分を抑えられなくなる。
お願いだから。

「どこか具合でも、」
「うるさい…」
「え?」
「俺に話しかけるな!」

青年の驚いた顔。その中に小さく堪えた痛みを見つけて眉を顰めた。喉が締まって苦しくなる。あぁ、胸まで詰ってきた。
完全に言い過ぎた。傷つけた。でも今は止められそうもない。
口を開くと更に何か言いかねなくて、謝るのも後回しにくるりと踵を返すと、脇目も振らずに走り出した。

「あ、待って!刹那!」

待てる訳ない。近くにいれば次は何を言ってしまうか。頼むから放っておいてくれ。

「刹那!」

だからなんで。
今日に限って何でそんなに空気が読めないんだ。追いかけてくるなんて想定外だ。
全力で逃げるが腹痛に邪魔されて上手く力が入らない。力が床に吸い取られて膝から折れそうになる。
自室に戻ろう。現在位置から考えると大分遠いが、幸い今日の予定は先刻済ませた整備で終わりだ。幾らなんでもプライベートな空間まで追ってくる事はない筈。
目的地が決まったので、加速しようとストライドを広く取る。正面だけを睨み付け、痛みと共に滲み出す嫌な汗を無視した。
超兵の力がどうの、とか聞こえた気もしたが、後ろなど向いてはスピードが落ちるので、一心不乱に走り一つ目の角を直進した。あと二つ。

「あ、ロックオン!刹那、捕まえて!」
「え?あ、了解」

青年の言葉に戸惑いを見せながらも、二つ返事で後ろの足音が増える。
何であっさり追いかけてくるんだ。
もっと考えた上で結論を出すべきじゃないのか。それに何処かへ行く途中だったんじゃないのか。そんなに簡単に目的を変更して計画性が無さ過ぎだろう。今度進言してやる。
ああもうそんな悠長に現実逃避している場合じゃない。追っ手が二人になった。これ以上の加速も見込めないというのに。
またズキリと胃より下の辺りが痛んで、腹筋に力を込めた。力が分散する。それを食い止めようと爪先に意識を集中させて、前傾姿勢を更に低くする。前に体重をかければ、倒れない為にも走り続けなければならない。倒れないように足を前に出す。
そういえば何故追われているんだったろうかと考えてみたが分からなかった。何故追われているのだろう。
いい。後から考えよう。取り敢えず今は逃げるのみだ。
雑念を追い出し逃げる事にだけ意識を集めた。
今通り過ぎた角の次がT字路だ。その突き当たりを右に曲がって、暫く行ってから右。そして一本目を左だ。パスワード入力もあるが、この距離を保てれば追いつかれないだろう。
眼前に壁が迫ってくるが、スピードは落とさない。腕をクッションに壁にぶつかる事で方向転換を図る。

「うわ…ッ!」
「…ッ!」

逃げる事に夢中で出会い頭はまるで考えていなかった。
思い切り地を蹴った力がそのまま跳ね返ってきて、バランスを崩す。それを伸びてきた手が食い止めた。

「前方不注意だな」
「済まない…、ティエリア」

反動を殺すため縮まった距離で顔をつきあわせる。よく見た事もなかったが、近距離でこそ映える貌をしている、と思わず不躾に見入ってしまった。

「でかしたティエリア!」
「ティエリア、刹那をそのまま捕まえておいて!」

そんな場合ではなかったんだった。
追手の声に我に返り、逃げ出そうと踏み出す。が、縄でも括りつけられているかのような反動で引き戻された。振り返ると左手首が掴まれていて、押せども引けどもビクともしない。
邪魔をするな。そう意を込めて睨み付けるが、青年は拘束も外そうとせず、涼しい顔。

「調子が悪いんじゃないのか?注意力散漫だな」

息を飲んだ。聞き間違えか。あの鉄面皮が、気遣いをした、など。それにその内容。
耳の聞こえが良くなって、嚥下する音がやけに大きく響いた。
誰も一目では気が付かなかった。最初に声をかけてきた青年だって機嫌が悪いのかと訊いてきた。そんなあからさまな素振りはしていない筈なのに。どこで気付かれたんだ。
驚愕と共に長年培ってきた防衛機能が反射的に働いて、青年の言葉に反応する。

「そんな事…っ!」
「全く体調管理もままならないとは、マイスター失格だな」

こちらの否定はあっさり無視され、手首の拘束が益々きつくなる。そこで振り払おうと躍起になっていたのが悪かった。

「!? 何を!」
「ミッションに影響が出る前に休んでもらう」

腰を捕まれたと思った途端に腹部の圧迫感と浮遊感が同時にやってきた。
視界が逆様になり、間近で見ると意外に広い背中に眼前を支配される。

「お、おろせっ!自分で歩ける!」
「逃げるから却下だ」

すぐ目の前にある背中を叩いたり足をバタつかせてみたりもしたが、これまた意外に力のある青年はびくともしない。流石ガンダムマイスター。そんな感心している場合ではない。
まさかこのまま運ばれるのか。
ざぁ、と血の気が引く音を聞いた。
それは嫌だ。恥ずかしすぎる。形振り構っている場合ではない。背に腹は代えられない。
突発的事態に呆然としている先程までの追っ手に向かって、今までにないくらい必死に助けを求めた。








――――――――――
「担がれて連行されるのが嫌なら、体調には気を配っておくんだな」

























































「…へぇ、俺に殺されても良いんだ?」
「構わない」

向けた銃。
ガチャリと態と音をさせて構え直してみても徒労に終わる。何か動きを見せてくれればと懇願にも近い思いを抱いていたのだが。

お前の気が済むなら、と差し出された命にはいそうですか、と手を伸ばす事は出来なかった。
復讐しかなかった俺の傍らにあった命。武力介入で手にかけるものとは違う、いつも寄り添っていた命。いつの間にか傍にあったそれは、ちっぽけなものには違いないのにその重みにはそれこそ天と地ほどの差があった。
命はスポンジの様に時間を吸ってその重みを変えるのだろうか。もう、簡単に背負える程の重さでは、ない。

「死んでも、良いのかよ」
「お前がいる」

信頼しか持ち得ない眼で見ないでくれ。重い。重すぎて歩けないんだ。今にも膝をついてしまいそうで。

「好きにすると良い」

真っ直ぐ見詰めてくる瞳から逃れたかったのに逃げる足さえ重くて動けない。






――――――――――
俺は復讐しかいらなかった。守るものも大切なものもいらなかった。
だってこんなに重いんじゃ身動きさえ取れない。

























































重い荷物をすぐにでも手放してしまいたいのにどうしたら良いかなんて、もう分からない。
選択肢と情報を与えられすぎて判断がつかない。何とか打開したくて激情のまま指をかけた撃鉄を引いた。のに。

「なんで、笑う」
「なんで、だろうな」

ずしり。
また重さが増したような気がした。

つきつけた銃口は今まで何千何百と骸を築いてきたもの。
今更引き金を引く事に躊躇いは感じよう筈もなく、そこに伴う感情も既に麻痺している。散々横で見て知っているのに何故。

「怖くないのかよ」
「怖いに決まっている」

似て非なる鸚鵡返しに苛立ちが募る。ならどうして。何故。
命はいらないのか。目的を達成したい気持ちはそんなものだったのか。あんなに渇望していた夢が先にあるのに。それを途絶えさせようとしているのに。
何でそんなに穏やかなんだ。
だが、と抑揚の無い声が空気を震わせる。

「お前に殺されるのも悪くない」

困った様に笑う顔は今まで見た中で上位に余裕で入る透明度を持ちながら、最高級の残酷さを持っていた。






――――――――――
何度となく笑顔が見たいと願ってきたのに、この場面で、なんて。
なんて。

























































「せーつな、メシ食べに行くぞー」
「食欲がない」
「でもお前さん帰ってきてから何も食べてないだろ。食べれる時に食べとくのも仕事だぞ」
「今はいらない」

何やら堂々巡りの予感。どちらも主張を曲げる気はなく、扉一枚越しに応酬が繰り返される。成す術もなく閉ざされた扉を見やった。
外から呼び掛ける方としては余り長居出来る場所ではない。
通路はいつ誰が通るか分からない。誰かが通りがかったとしても理由を話せばこちらに賛同してくれるだろうが、本人が部屋から出てこないとなればその意思を尊重すべきとこちらが諭されるだろう。
勿論その場は引くが少年と会う事自体を諦めるつもりはさらさらない。少ししてからもう一度、なんて回りくどい手を使う時間的余裕もない。
しかしそれだと短い間に何度も扉の前にいるという事になり、いつか見咎められるのは必死だ。
一度不審に思われれば近づきにくくなる。少年が拒んでいるとなると周囲もそちらを庇うだろう。それは避けたい事態だった。

仕方ない。
確かにこういう時の為に連れてきたとは言え流石に気が引ける。でもこうまでして会いたいと思っている事も理解してほしかった。

「ハロ、頼む」
「リョウカイ、リョウカイ」

オレンジの球体から手を離すと一つ跳ねて微重力に乗る。
入力画面とにらめっこしていたのはほんの一瞬。
ピピ、と音がしたと思った途端、自動的に扉が開いた。

「…!」
「ごめんな、刹那。でも、どうしても話がしたいんだよ」

それきりどちらも固まって動かない。譲らない。
微妙で絶妙な張り詰めたライン。選択を誤れば足元は崩れ、何もなくなってしまう。
今まで積み重ねてきたものが白紙に戻り、二度と描き直される事もない状態。それを最も恐れている。
そうさはせない。それだけは回避してみせる。
だから主張をここで曲げたりしない。事態を保留しておく事でさえ悪化しか招かなかったから、回らない頭で最善を尽くし、こんな手まで使ったのだ。
しかしこの場面においては、相手の返答を待たずに自らが動く事で全てが無に帰してしまうような、予感めいたものを感じていた。こんな事で、とも思わないでもないが、それだけこの均衡は繊細だった。
崩れてしまう位なら、永遠に動かないままでも良いとさえ思う。実際、動かない事を選んだ。
どのくらい経ったのか。続いていた沈黙は溜め息に破られた。

「早く閉めろ」
「!」

不機嫌な承諾に慌てて一歩前に出る。それを待っていた扉が開いた時とは逆に微かな音を立てて退路を断った。
許可は下りた。それでも足を進められずに躊躇する。自分では動かせない足に悪態をつきたくなるがどうする事も出来ない。
今更、だというのに。これ以上進めない。
もう一度溜め息が空気に溶けて質を変えた。

「いつまでそこに立っているつもりだ」

諦めの溜め息。
今度は許容からのものだった。
たったそれだけの事でも気が緩んでしまう。こんな所でも随分と絆された事を確認してしまう。
しかしまだ許された訳でもない。交渉はこれからだ。
自分を戒める意味で、ここでいい、と首を振った。

「刹那、」
「何故だ」

何故あんたは。
疑問は最後まで外に出る事無く塗り潰された。
問いはそこで途切れてしまったが、最後まで言わなくたってわかる。ここで疑問を持つことは一つしかない。

「最初に突き放したのは俺だ。だから、お前さんが気を回す必要なんてなかったんだ」
「俺はそんな事、」
「してるだろ。そうやって避けてんのが余計な気、回しているって言ってんの」

距離が少しばかり開いていると気がついたとき、苛立ちを隠せなかった。
物質的な距離は何ら変わらない。しかし少しだけ広がった心の距離。
遠慮。他人行儀。罪悪感の様なもの。
感覚的なものでしかなかったけれど、そういった自分の勘を疑った事はない。
苛々した。何で。どうして。
でもそれが銃を向けてからだと気付いて。
衝動的な狂気に任せて凶器を取った事をどれ程後悔したか。

「自分勝手なのは承知してる。でも、お前さんはそんな事しなくていい。しないで欲しい」

頼むから、と少年に縋る。そうやって、弱みに付け込む。
銃を向けても許容してしまえる過去。それに少年が負い目を感じているなら、気づかない振りをして利用しよう。
後に卑怯と罵られて蔑まれたとしても甘んじて受けよう。
付け込む隙があるならそこを狙う狡ささえ迎合してやる。
だから。

「離れるのは、」
「もういい」

審判を下す声。
最後の言葉は発する事を許されず喉の奥へ仕舞うよう強制された。
恐る恐る目を覗き込むと反らされる事なく絡んで、今度はこちらがたじろぎそうになる。
少年をそう仕向けたのは自分なのに、情けなく指先は小刻みに震えた。
溜め息が空気を振るわせた。

「あんたがそう望む以上、俺に逃げる術はない」

消去法の形を取った事実上の受諾。
信じられない思いで声もなく見つめた。
現実的な距離は今も何も変わらないのに、既にそれはいつもの距離で。望んでいたもので。
嬉しいのだけれどあまりにあっさりと受け入れられてしまって、心が追いつかない。
呆けた顔をしていたのだろう。少年が眉を顰めた。

「隙を見せるならすぐにでも逃げ果せてやる」
「なっ… ハッ、言ってろ。すぐ狙い撃ってやるよ」

ニヤリと口角を上げて応じる。
この距離。この存在感。



俺は、取り戻した。
許されたんだ。






――――――――――
お前は過去を許されたと思ってるのかもしれない。でも実際にはお前に許しを乞うほどの罪なんてない。
それよりも俺の方が余程許されている。
だってほら、接触を拒むお前が側にいる事を許してるだろう?

























































「死ぬなよ」

お前は俺が殺すんだから。
言外に籠められた意味を正しく受け取って頷く。
そう望むのなら俺が叶えない筈がない。






機体に乗り込む姿を見届けてからそれに倣ってハッチを閉じた。
起動コードを機械的に呟きながらオレンジの相棒を定位置にセットする。
システムオールグリーン。表示は標準値。感度良好。

「ロックオン・ストラトス。デュナメス、出撃する」

慣れた衝撃。一瞬の加速のあとカタパルトから離れ星の海に放り出される。
無重力の間だけ見惚れて、少し前を行く青の機体を追いかけるために操縦桿を傾けた。

小さく見える青い機体、彼が傾倒するガンダム。
細かい粒子が舞い軌跡を残すその後ろ姿を戦闘中、その後と言わず今すぐ撃てばどうなるのか。
自分が撃たれる事に頓着しない彼だがガンダムが絡むと面白いくらいに崩れる。
スローネ然り。量産型然り。
やはり彼の中のガンダムは崇拝する神そのものなのだ。

それを仲間が撃ったとなればどうなるのか。
例えば肩や足の付け根を狙って文字通り手も足も出ない状態にしてやれば。
例えば初撃はコックピットを避けて、太陽炉からのエネルギーを遮断する様に撃ち抜けば。
例えば。例えば。

どんな顔をするだろう。恐怖。絶望。裏切り。驚愕。それとも。
その無表情は崩れているだろうか。そうでなくては張り合いがない。
暗い想像に高揚を覚える。でも機体越しだと表情が見えない。一番心にダメージを与えられる方法だというのに実に残念でならない。
まぁこの手で殺れるのも悪くない。探して探して、やっと辿り着いた相手なのだから。

銃は駄目だ。遠すぎる。死んだ感触も殺す実感も湧かない。
得意分野ではないが、ここは少年が手にする事の多いナイフやそれに準ずるものが良い。
表情も見られるし残る。
温かさも柔らかさも滑らかさも、この手に。

これは復讐なんだ。
残らないと意味がない。
彼にも。
俺にも。

頬が弛むのを止められない。
相棒がその顔を楽しそうだと評したので表情を改めた。






――――――――――
この介入行動が終わるのが待ち遠しい。

























































「刹那の手、あったけぇー」

自然な振りをして狡猾に機会を狙っていた男が、触れた手をそう評価した。
そうなのだろうか。自覚すらない俺に他人の感じ方がわかるはずもなく、首を傾げる。

「そうなのか?よく手袋をしたままで分かるな」
「分かるよ。もう何年もしてるからな」

自慢するように胸を張って。
そうした仕草はどこかおどけた空気を醸し出していたが、どういった表情をするべきなのかが分からず、そうか、と頷くのみに留めた。
この反応は正解ではなかったようだ。男は僅かに拍子抜けした顔をして見せ、笑みというには落胆を色濃く滲ませた表情を浮かべた。
失望させただろうか。だがそれを覆せるほどの知識を、俺は有していない。残念ながら期待には応えられそうにない。
男の切り替えは早かった。ニヤリと悪戯を思い付いた子どものように片方だけ口角を上げると、掴んでいた手を離しこちらに向けてくる。

「でも刹那、体温は手より首で計った方が分かりやすいってのは知ってるか?」
「知らん」

発言と、パシンと響いた破裂音が被る。お陰で折角発した声の方が掻き消された。
届かなかった声の代わりに大分上にある緑色の目を見据え、触れるなと牽制する。しかし、これは相手の予想範囲内だったのか怯む様子もなく、いやらしく笑みが深くなるばかり。
それどころか、また手が伸びてくる。射程に入った所で叩き落とす。今度はもっと早いタイミングで首を狙ってくるのを横に薙いた。するとまた。

「いい加減にしろ」

埒が開かない攻防にウンザリして一歩下がった所で、目的もない茶番はあっさり幕を降ろした。

「はい、刹那の負け〜」
「負けなどあるか。一方的に始めたくせに」
「こういうのは先に下がった方が負けなんだよ」

どんな言い分だ。子どもじゃあるまいし。
付き合っていられない、と顔が渋く歪む。こちらは演習に行く途中なのだ。こんな大きな子どもに構っている時間はない。
くるりと踵を返すと、男も何事もなかったかのように付いてきた。
後ろを見なくても、再び絡められた手から憎たらしいほどの上機嫌が伝わってきて、苛々する。だがその苛立ちも、黙って付き従う男の感触に絆されて徐々に薄れていった。
それはどこか、どこか、置き忘れてきたものに似ていた。

「刹那の手はあったかいな」







――――――――――
その言葉だけで満足そうな顔が見えた気がした。

























































「お前の手は冷たいな」

一拍の間を置いてから少年が言った。
そりゃあお前さんよりは。

「大人ですから」

余裕を見せるように笑ってやると、沈黙だけが返ってきた。この冗談はお気に召さなかったようだ。少しだけ空気がピリピリする。
特定のもの以外滅多に反応を示さない少年ではあるけれど、やはり思春期なのだろう。子ども扱いには敏感だ。他人よりも成長の遅い体を気にしている事も知っている。
知っていてもからかいのネタにしてしまうのだけれど。
冗談を流せない少年に、フォローを入れておく必要があるだろうと口を開く。

「以前クリスティナ・シエラから聞いた事を思い出した」

しかし、意外にも先に話始めたのは少年の方だった。
イレギュラーだ。呆気に取られた事も手伝って、開けた口から声が綺麗に消え去った。
ちらりと見える横顔を窺う。行動と考えが乖離してしまったかのような遠い目は、どこまでも無表情だけを現している。
独り言を紡ぐ、答えを求めていない言葉が、小さく開閉を繰り返す唇から零れた。

「手が冷たい人は心が温かい」

感情のこもらない言葉に、胸の辺りがきしんだ。
そして浮かんだのは自嘲。当然だろう。
こんな罪ばかり重ね、それらさえ踏みにじってきた俺に、その言葉をかけるのか。少年にしては気の利いたジョークだ。
ぎしり、きしむ。
体の中を重たい誰かが歩き始めたみたいだ。どこぞのオンボロ屋敷みたいにギシギシと抜けそうな悲鳴が響く。

「迷信だろ?そう見せるのが得意になるからさ」

大人になるとね。
何の非もない少年に、そう、最低な言葉を吐いた。
もう純粋な言葉も、歪めないと受け取れなくなってしまっている。でもその言葉は、俺に相応しくない。
少年に他意などある筈がない事は分かっている。冗談も通じないほど真っ直ぐな少年が、言葉に意味以上のものを含ませるなんて、出来る筈がない事くらい。
そう理解していながら、斜からしか見られない自分を肯定する感情が生まれる訳もなかった。
良い意味合いで発せられた言葉だったのに。
言われて、嬉しかったのに。
こんな、こんな、汚い大人に、その言葉は勿体ないんだ。

「大人はそうかもしれないが、アンタは違う」

そうだろう、ロックオン・ストラトス。
振り返る少年と目が合う。強い光を宿したガーネット。
見開いた眼に焼き付ける赤が、とても鮮やかに映った。

「アンタの心は温かいだろう?」

大人ではないアンタの心は。
言葉を返せない。呆然としていると、少なくとも行動は俺より幼稚だと言い切り、また前を向いて行ってしまう背中。それにも反応できず、ポカンと見送る。
何を言われた。今、何を。
噛み砕いて反芻して。理解と同時にいきなり熱くなった顔を押さえた。
それは少し馬鹿にした、少し俺と他を線引きした、肯定、じゃないか。

「……凄い殺し文句」

少年にそんな気は無くても、見事に狙い撃たれた。ど真ん中だ。
まだ顔が熱い。でも、これ以上少年の背中が小さくなる前に。

「刹那〜、俺を置いて行くなよ〜」







――――――――――
声をかけて引き留めて。
この少年の隣に立とう。

























































自室で横になって、あぁ歯を磨かなくては、と仕方なく暖まってきたシーツから退ける決意をさせられた。



ミッション後の強行軍は案の定体力を大量に削いでいて、鍛えているこの体でも休息を欲していた。疲れから当然何をする気にもなれず、パイロットスーツを脱ぎ捨て宛がわれた部屋に直行する。
シャワーを浴びる気さえ起こらない。ボス、とベッドに倒れこめば重みに耐える音の後、ブランケットに含まれた空気が逃げていった。
このまま眠ってしまおう。次のミッションまで時間的余裕がそこまであるとは思えないが、休まなくては満足に戦う事もままならない。
眠りに落ちようとするその一瞬を、逃す事なく声がする。

――寝る前は歯磨きと嗽をしないと駄目なんだぞ。

嫌だ、面倒くさい。何も食べていないのだから歯磨きの必要はない。
そう主張すると屁理屈を捏ねる子どもを宥める様な口調がまた響く。

――そんな事言って。寝てる間に菌が繁殖するんだから、歯磨きしないと虫歯になるぞ。

その後は名前の連呼。煩くて敵わない。
わかったから黙れ。
あまりに煩いものだから、仕方なく起き上がり洗面所へ向かった。
横になってしまった所為か余計に体が重く、折角気持ち良く眠れそうだったのに、と声の主を恨む。無表情のままだったと思うが眼に感情が乗った様で、小さく苦笑が聞こえた。
若干呆けた状態で歯磨き粉のチューブへ手を伸ばすと、またも声が後ろ斜め上から降る。

――あんまり付けすぎるなよ。勿体無いから。

わかっている。いちいち言わなくても良い。
さいですか、とまた苦笑。行動の先を行く言動に憤然と歯ブラシを擦り付け、乱暴に泡立てた歯磨き粉を腹立ち紛れに吐き捨てた。
早い所寝てしまおう。そうすればこの声の届かない場所に行ける。

――刹那、喉の調子良くないんだろ?嗽薬使っとけ。

はた、と。
コップの水を捨てようとする手が止まった。
鏡を、顔を上げるのが怖くなった。
喉の調子なんて悪くない。最後に風邪をひいたのはもう何年も前だ。


じゃあこれは。




ひびいてるこえは。
うしろにいるのは。
わらっているのは――。






歯ブラシは漱いだ。嗽もした。でもどうしても鏡を見る事は出来ぬままバサリとブランケットを被った。






――――――――――
だって後ろには。
後ろには。




























































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