せ 精一杯振りかざすことは本当に正しいことですか?
い 幾度となく裏切られてきたのに、
ぎ 犠牲になった僕を嘲笑え
っ 強がりはいつか消える
て てのひらいっぱいの勇気はあまりにもちっぽけで
な 何を言われようと間違ってはいない
に 憎まれたって構わないさ。それでも守りたいものがあるんだ。


バ バイオレンスを止める振りをして
イ イルミネーションのようにキラキラ、と輝くその瞳は
バ バスケット片手に逃避行
イ インベーダーでさえ侵食できない
、 、許してください。


title:彩時雨























































































「刹那、刹那!」

機体から降り、張り付くスーツを脱ぐ為にロッカーへ向かう足を阻む声がかかる。何度も飽きる事なく呼び掛けるそれを悉く無視して歩いていれば、笑顔を苦笑へと翳らせつつ仕方無いな、と呟いて視界に入る様に前に出る。いつもらなそう予想される次の行動は、しかしいつもの優しさと合意を欠き些か強引に腕を引く行為にすり替わっていた。
姿の映り込む湖面を思わせる眼に険が籠められていて僅かに微かに瞠目する。そう言えば声も請うものではなく、どことなく硬質な鉱物を含んだものだった様な気がした。

「なんだ」
「何だ、じゃない!お前、頭怪我してるだろ!」
「問題ない。自分で処理出来る範囲だ」
「自分で、って… 医務室に行かない気か!?」

だから何だ。見詰め返せば湖面は嵐を予感させる風に揺らぎ、だが夕凪程度では揺らぎようもない水底を暗く澱ませた。
何かが気に食わないらしいが何が問題なのか見当がつかない。

「お前は…っ!」

怒鳴ろうとでもしたのだろうが、それを溜め息に閉じ込め何とか吐き出し破棄している。放棄できる程度ならさほど重要でもないだろう。そう判断して用はそれだけか、と声をかけた。

「いいや、まだだね」
「!」
「お前が好きな様にするんなら俺だって好きにさせてもらう」

言葉と同時にまた腕を掴まれ今度は明確な目的地に向け歩き出す。この男は何をしたいのか。行動が読めない。
どんな理屈だ、と抗議しようかと思ったが、いつにない剣幕で引き摺る様に腕を持っていく様から推し量るに、抵抗を聞き入れる気は毛ほどにもないのだろう。
別に損をする訳ではない。そう結論付けると無力感が急に襲ってきて大人しくついて行く事にした。






――――――――――
だが断じて俺の意思ではない。

























































連れてこられたのはやはり医務室で、入るなり独特の匂いが鼻を突いた。消毒液、ガーゼ、ベッド。全てが折り重なり病人の空間を造り上げるこの場所には、嫌な思い出だけ大層窮屈そうに詰め込まれている。
嫌だ。
途端、つついた様に反発心の膿が溢れ出す。

「俺に、触れるな」
「聞けないね」

つら、と一瞥もなく返された言葉は氷柱の様に冷たく、振りほどこうと力を込めた腕に突き刺さり凍てつかせる。その腕を更に強く引かれ椅子の上へバランスを崩した。

「座ってろ」

ぶっきらぼうにそう言うと青年は部屋を物色する様に硝子戸を開閉させ始めた。
今回の事は例外となるが、まだ計画が水面下にあるこの組織で大きな怪我など起こり得る筈もなく、人員も無駄に割けない以上医務室であれど常駐している医師はいない。そこには人が少なければ柵も煩わしさもなくなり、情報漏洩の心配も減る、というようにこの組織の秘匿性を高める意図がある。一石で二羽以上の鳥が得られるという事だ。
目的のものが見つからないのか今度は棚の上にある箱を改め始めた青年の背中を見るともなしに見やる。それにしても。とんだお節介が居たものだ。こんな秘密至上主義の組織にわざわざ他人に介入しようとする人種がいるとは思ってもみなかった。こんな場所、今すぐにでも立ち退きたいが状況はそれを許さないだろう。異論は黙殺され、立ち去ろう立ち上がれば連れ戻されるのが関の山。仕方なく所在なく椅子と仲良くしているしかない。
やっと目当てのものを見付けたらしい青年は染みるぞ、と一応断りを入れてから治療を開始した。

「頼むから、二度と、こんな事、するな」

殊更ゆっくりとじっくりと残る様に言葉をつむぐ。痛いのは此方なのに何故そんなに苦しそうにするか理解出来ない。何故。何故そんな顔をする。頷く事を忘れていると念を押す様に絡まった視線の強さに圧され小さく首肯した。
だがいつか俺達は報いを受けて骸に還る。理念も信念も無念にも地に落ちる。残るものは何もない。それはこの世界に生きているのだから嫌という程分かっている筈だ。いずれこの手を滑り落ちる関係なら無くても同じだ。もう痛いと感じる感情さえ凍りついているのに。今更惑わせるな。今更介入するな。今更。今更。






――――――――――
痛い思いをするのはいつも生き残るものなのだから。

























































「じゃあ引き続き刹那をお願いね」
「りょーかいですよ、miss.」

なんだって俺がこんな事、と思わなくもなかったがこれも任務と引き受けたのが最初。今はただ愛しさが先に立つ。




我らが戦況予報士と伴に現れたのは年端もいかない子ども。子どもは赤い眼にだけ生気を滾らせ正気のない様子で紹介を受けていた。
愛想のない子ども。これが最初の印象。決して良くもなかった印象を覆さなくてはならなくなったのはそのすぐ後で、実質上司に当たる彼女からしたくもない子どものお目付け役を賜ってしまったのが二年前だった。

戦況は最悪だった。会話は成立しないし、接近を極度に避けるし、無理を強いる様なら容赦のない抵抗を受ける。そんな状況で途方に暮れない方が可笑しい。何度投げ出そうかと思った事か。けど。
ある時気付いた。アイツは待っているのだ。声がかかるのを。人が近付くのを。手を出してくるのを。
そうして試している。この人間は敵かどうか。寝首をかかれる事はないか。弱味を見せても良いのか。そして、信用できるのか。

俺の本気が試されている。

だったらやってやろうじゃないか。酷く怯えた動物を手なずけるのも悪くない。




「俺が髪、乾かしてやろうか。お前さんのやり方だと傷が開くかも知れないしな」
「………」

その結果が現在。側にいる事は許されるが干渉を嫌うのは相変わらずだ。問いかけを黙殺されては仕方ない奴だと苦笑して。
頭の傷はもう殆ど良くなっているがふやけた所を引っ掻かないとも限らない。まずは丁寧にタオルで押える様に髪から水分を取り除いた。

伸ばし続けた手を振り払われなくなったのはそれはそれは大きな進歩で、それに気づいた時に危うく涙腺が決壊するかと思った程だ。
今も大人しく仕方なく頭を弄られている少年を見下ろして、唇に弧を描かずにはいられない。






――――――――――
かけた労力は半端ではなかったが、それでも。
後悔はない、とそう思える自分がいる。

























































小さな経済特区の言葉で一瞬の意味を持つ少年は、保護された当時誰に気を許す事もなく、物陰に身を潜めて闇から出ようとしなかったらしい。
近付こうものなら鋭く研ぎ澄まされた爪が喉元という人体急所を一閃する徹底交戦の構え。自ら部屋から出る事はなく自らの部屋に迎え入れる事もなく、闇が唯一の味方である様に灯りさえも遮断して。
食事さえ受け付けないそれに上層部は焦った様で、あの手この手で栄養だけは採らせた様だが警戒心は依然解けず、抵抗は俄然強くなってしまった。

そこで上層部は賭けに出た。少年が最前線の一端を担う事になるプトレマイオスのクルーに世話をさせる事にしたのだ。チームワークを必要とする任務が主となる以上、円滑な人間関係は必須である、との言葉だったが、ぶっちゃけ匙を投げた、とも言う。

プトレマイオスに来て数ヵ月の動向は知らないが、プトレマイオスに来た当初より大分状態が良くなってから俺達は引き合わされた。それでもやっぱり少年は手負いの獣で、じゃじゃ馬で、小さな体を可能な限り大きく見せて威嚇する小動物で。
何で誰も守ってやらなかったんだろう。何でこんなにも追い詰めたんだろう。いつも必死で自分を強く見せるくらいしか生きる道がなくなっているのに。
ここで会ったのも縁。徹底的に相手してやるさ。俺より不幸な生き物のお前が強がりに頼らなくても生きていけるように、笑顔が戻るように、生まれた事を感謝できるように。
そうする事で俺自身を救えるように。






――――――――――
これは復讐しか持たなかった俺のエゴでもあるんだ。

























































手を伸ばすと弾かれる。振り払われる。幼心にも鮮明に残っている記憶。



ふ、と影で視界が暗くなる。研かれた見事な瞬発力により反射的に影を作るものを弾いた。

「俺に触れるな」
「んな事言ったって触んなきゃ怪我の様子見れないだろー」
「その位自分でする」
「一人で頭に包帯巻けんなら聞いてやれんだけどな」

ほらほら座った座った、と数日前にも仲良くした椅子に押し戻され、口煩い青年の微苦笑を恨みを込めて睨み付けた。
慣れてしまったのか眼による無言の抵抗にも怯む事なく、先ほどと同じ様に、先ほどより視界に入る様に頭上に手が伸びてくる。見える様に行動するのは怖がらせない為。警戒する犬猫を触る時と一緒だ。
でも一瞬。ほんの一瞬。どうしても体が固くなるのを止められなかった。取り繕いはしたが青年に気付かれている気がする。

「お、大分消えてきたな」

妙に悟いこの男の事だ。一瞬の震えにも気付いているだろうが見て見ない振りをしているのだろう。無用な気遣いだ。
包帯はもう良いか、と解いた白い帯を脇に置いて、代わりに真新しいガーゼに薬を塗ったものを額に固定する。白人特有の白磁の肌がウロウロと視界の端を移動する様は、どうやっても意識に入り込もうとするので、固く光も届かない様に眼を閉じた。

早く早く。この手が無くなれば胸を苛む苛々もなくなる筈だ。青年の手は安心を、安全を与えようと模索する手だ。どうしたら安心するのか、どうしたら懐くのか常に苦心している。その仕草は只管優しく危害を加える予兆さえない。油断していれば絆されてしまいそうなそれは、しかし代わり信用を、信頼を寄越せと強く迫る。悪魔の囁きの如く誘いに乗ってしまえば、底の見えない破滅に続く道を転がり落ちるだけだと本能が叫んでいる。わかっている。だが頭では危険を認識できるのに囁きは甘く、抗いがたく絡み付いてくるものだから長く続くと傾いてしまいそうになるのだ。

「はい、終わり。あともうちょっとだな」

救急箱を棚に戻しながら青年は笑顔であろう事を声にも乗せて治療の終わりを告げた。この怪我も乾いてしまえばもう治った様なものだ。
怪我が治るのは嬉しい事なのに物悲しいそれを名残惜しく思い、何かを形にした方が良い様な言い様のないものがぐるぐると回りだす。少しの逡巡、少しの葛藤の末、素直な言葉が口から滑り落ちた。

「礼を言う」

瞬間振り返り心底驚いた眼にぶつかった時にはしまった、と思った。やはり早く離れて距離を取るべきだった。
崩れる。
足元から足場がなくなってしまう。一人の力で立てなくなってしまう。
崩れる。

「こんなのどーって事ねぇよ」

些か紅潮した笑顔に安堵した自分がいてそれ以上青年の顔を見ていられなかった。このままでは本当に跡形もなく崩れてしまう。此方から手を伸ばせば今すぐにでもそれは起こる。それだけは避けたかった。






――――――――――
でもその笑顔は青年らしからぬ少年の、それは無邪気なものだったから完全に引き剥がす事が出来なかった。

























































「だーかーらー、お前のそのプログラム、無理有りすぎだっての!」
「煩い。俺の機体をどうしようと俺の勝手だ」

まだやっている。小一時間程前にここを通りかかった時には既に始まっていた水掛け論は、未だ終結を見ず現在進行形で冷戦の如く静かに激化している様だ。まぁ端から見れば煩がる少年に因縁をつける青年という、いつも正当に正統性を主張している青年にしてみれば何とも不名誉な図なのだが、本人達にしてみれば至って真面目なのだろう。
それにしても如何せん長い。呆れをぶっちぎりで通り越し諦めさえ追随を許さない独走態勢だ。あまり関わりになりたくないがこのままにしておくと絶世の美貌を持つの青年の雷が落ちること請け合いだ。本人達にではなく僕に。理不尽に晒される予感が犇々と押し寄せる中、半ば強迫観念に脅迫され低レベルな言い争いをする二人に割って入る。

「二人共、いつまでやってるの」
「アレルヤ!聞いてくれよ、刹那のヤツ規定以上のGがかかるかもしれねープログラム組もうとすんだよ!」
「規定内だ。間違えるな」
「でもギリギリだろうが!」
「規定は良しとしている」
「そんな無茶許されねーだろ!この前だって怪我したばっかりなのに!だからお前の背、伸びないんだよ!」
「…!背は関係ないだろう!」
「大人げないよ、ロックオン。刹那も安い挑発に乗らないで」

予想していたよりもずっと低レベルな言い争いを溜め息混じりに諌める。頭が痛いのはきっと気のせいではない。要するに珍しく声を荒げること青年の過保護が原因か。何と人騒がせな。周りに、特に僕に迷惑がかからない様いい加減にして欲しいものだ。

「ロックオン、心配なのは分かるけど刹那だっていつまでも子どもじゃないんだからね?」
「………」

また怪我するかもしれないのに、などとゴニョゴニョ言ってはいたが正面きって反論しないところを見ると流石に自覚はあった様で、気まずげに視線は足先1メートルを恨みがましく泳いでいる。こんなに簡単に収まるなら放っておかなければ良かったろうか。もう一つ声をかけてからお仕舞いにしようと口を開けた時、それより少し早く発声した少年の驚きを含んだ声が重なり響いた。

「…心配?」

ポツリと呟かれた単語は疑問を孕んだただ一つだけだったが衝撃はゆっくりと、だが確実にやってきた。
まさか気付いていなかったのか。こんなにあからさまで気付かない方が才能と呼べる程だというのに。確かにこの少年は他人の機微に疎いところがあるけど、まさか。

「そうだよ。ロックオンは君を心配しているんだ」

少年に向けて認識を肯定する様に、言い聞かせる為の言葉を選んだ。言い争いをしていた青年に喋らせると、意地が先に立ってしまってまた言い争いになるだろうと思い先手を打つ。固まってしまっている青年にそこまで気を回さなくても良かったかも知れないが念には念を、だ。
少年は少し考えてから眼を見据えてきた。

「心配なら無用だ。俺は死なない。俺はエクシアとエクシアの可能性を信じている」

眼は口ほどに物を言う。それは確かにその通りで赤い眼を見てしまえばもう何も言えなかった。それは隣の青年も同じだったようで何かが抜けてしまった風体で少年の発言以後沈黙しか発せなかった。

「…〜このガンダム馬鹿が!」

やっとの事で返した言葉も意趣返しさえならない。







――――――――――
でもそれは同感。

























































いよいよ、という気もするがやっと、という気もする。この時を待ちに待った。待ちわびた。ま、この日を迎えるのが世界の必然ってな。
これから俺達は世界を敵に回す。せいぜい華々しく毅然と敢然と舞ってやるさ。来るものは拒まず選り好みせず、誰とでも広大な舞台で悠然と。







――――――――――
これが最後と叶いもしない夢を振り撒いて。

























































「っ…!止めろ、刹那!」
「!」

急に戻ってくる意識が世界を鮮やかに見せる。その代わりの様に一瞬の浮遊感に包まれた後、膝に軽い衝撃が来た。
膝から折れたのだと気付いたのはもう少し後。視界は狭いまま戻らないが、浮遊感が引き、世界が現実感を帯びてから現状を把握しようと意識が動き始める。

「ロックオン…?」
「ったく、焦らせるぜ。お前何してたか分かってんのか?」
「なに?」

何かしていただろうか。そこでやっと周囲が見えた。
傷の増えた壁。
倒れているクルー。
武器こそ使った形跡はないが点々と落ちている血痕。
ああ、また、だ。

「無意識かよ。言ったろ、もう少し力の制御をだな…ってオイ!」
「運ぶ。手伝ってくれ」
「もっと頼み方ってのがあるだろ…。まぁ良いけど」

脇に体を入れてぐ、と持ち上げる。
先に重力を落としておけば良かったと思った。動けない人間というのは存外重いのだ。
それでも一度担いだ人間を放り出す事はしなかった。それがとんだ手合わせに付き合わされる羽目になった者達に、謝る言葉も持たない自分が出来る唯一の事だったから。





少年が懸命に怪我人を運んでいる姿を傍目に、自らも倒れたクルーの腕を掴んだ。
ざっと見た所、動けないものが大半なものの重傷者はいない。この分だと内側が外傷より酷い事はないだろう。
内部の怪我の方が見た目が派手な外部の怪我より人を死に近づける事をを少年は熟知している。だから、以前は外傷こそ少ないが内部に大きなダメージを与えられる動きをしていた。その点に関して少年は以前より手加減を覚えたとも言える。

この組織に少年が入ったばかりの頃なら、少年との手合わせは命懸けだった。一度臨戦態勢になると一種のトランス状態になってしまい手がつけられないのだ。
加減もなく全力で急所を狙う動きに加え、言葉が一切通じなくなり制止がきかない。
本能に刷り込まれる形で教育を受けてきたのだろう。模擬戦だと何度言っても自身の力で止められるものでもなく、止めに入った者も巻き添えを食うのが常だった。

狂戦士、或いは殺人人形。そんな言葉が頭をよぎり身震いした。無表情で言葉も持たず人を殺す。それも本人の意思はどこにもない。酷い話だ。
誰がこんな事を。
秘匿義務がある組織で過去の詮索は禁忌だが考えずにはいられない。
誰が、こんな、事を。

でも作られた反射行動は上書きできる。
現に少年は手加減を覚えてきている。例えそれが戦場で躊躇いという致命的な隙を与える事になったとしても、人が変えてこその武力による戦争根絶なのだ。
人が人の意志で変えるのだ。この舞台に人形の出る幕はない。
そして何より。

「やっと、かな」

少年に届いた。
ずっと響かせてきた無意味な音の羅列は言葉になった。
自身の声だけが少年を人にする。こんな嬉しい事があるだろうか。
怪我人達には悪いが弛んだ顔を引き締められそうにない。







――――――――――
バイオレンスを止める振りをして、いつかのために密かにエンブリオを育てて。

























































手の腹で頬を摘まむ様に包み、撫で下ろす。
黄色人種特有の白すぎない肌は、太陽に晒され続けた過去を思わせない滑らかさで、いつまででも触っていたいと欲求を加速させた。
いつもは止めに入る手も珍しい気まぐれか特に拒絶もなく沈黙しているので、欲求には従順に手を動かす。
今度は指の甲で撫で上げ、親指で目頭から目元を辿った。
反射で瞼が閉じ、存外長い睫が親指を擽って離れていくのを勿体無く見ながら眦で動きを止める。
見上げてくる眼球は網膜が透けて見えるのかと思う程の赤。紫の髪を持つ青年とはまた違った、どこか生々しささえ内包する動物を思わせる色。
嫌で仕方なかった色にこんなにも惹かれるようになるとは思ってもみなくて、考えまいとすればする程その思考に支配されてしまう人の因果を感じずにはいられない。
頬に両手を沿えて唇を近付ける。再び閉じた瞼の上に口付けて睫を舐め、そろそろと舌を差し入れた。

「……っ!」
「刹那、痛い?」

震えに、反射的に距離を取って問うと隠れていた瞳が困惑気味に開かれた。少し陰った赤が光を吸い込んで閃いた。

「平気、だ」

覚悟を決めたように瞳を閉じる姿に煽られたが、怖がらせては意味がないと殊更ゆっくり、労りながら近付いた。
瞼の上に一つ、二つ。触れるだけで離れてから。
縁をなぞり奥へと入り込む。また小さな震えを感じたけれど今度は無視してその感触を味わうのに専念した。
舌先に触れる柔らかいけれどしなやかさも併せ持つそれは涙の味。瞳の色から想像する血の味はしなかったが、歯を立てれば瞬時に想像を現実に移せる距離に知らず胸が高鳴った。

名残惜しみながら舌を離して瞼が持ち上がる瞬間を捉えようと覗き込んだ。
痙攣する睫。一度、目全体が震え影を残しながら赤い瞳が現れる。同時に一筋だけ涙が滴った。
生きる色に感嘆して溜め息をついた。

「お前さんの目は綺麗だな」
「あんたの方が綺麗だろう」
「全然違うよ」

生きている色に魅せられて返答にも熱が含まれた。全然違う、と繰り返す。

「これ、くれないか?」

とても真剣に聞いた。真剣さが伝わっているからこそ冗談として聞き流す事が出来ず、少し困って首を傾げている。

「俺が死んだら、やっても良い」
「死んだら濁るだろ。生きてるのが良い」

使われなくなると白く濁る。すると赤は赤でなくなり時間が経過した事を示す褐色になる。
赤は生きている色。生きていないと赤くはならないのだから生きていないと駄目だ。
我が儘を重ねると本当に弱りきって長く考えていた。
沈黙を辛抱強く作り続けると、結論に達し俯いた瞳に落ちていた影が引いて視線が絡む。ぞくりとした。

「じゃあ、俺が死ぬ直前に抉り出せば良い」

その口から出た提案は見届けるという最期の仕事を任命するものに限りなく近い様に思われた。
死に際には傍にいるように言われたようなものだ。これを喜ばずいつ喜ぼう。
いつかもらう大きなご褒美に、犬のように無邪気に微笑む。

「俺がいない時に死ぬなよ」
「善処する」

礼の意味も籠めて流れた涙を下から舐めとり瞼に唇を落とす。二度、三度と繰り返せば拒まれないまでも鬱陶しげに眉を顰められてしまった。
生きている色を間近に見たくて唇を離しても顔を離さずに待つ。待ちわびた色はやはり濃い生命力を宿して開かれた。


いつか止まってしまうなら手元に置きたいと願ったけれど、やはり動いているのが一番好きだと思い直し。
その瞳が閉じられる前に眼球ごと舐め上げた。







――――――――――
イルミネーションのようにキラキラ、と輝くその瞳はイミテーションの追随を許さない。

























































「セツナ、セツナ、オハヨー、オハヨー」

朝一番、オレンジの球体が跳ねながら挨拶をしてくる。
それを返す暇も、不味いと思う暇もなく新たな声がかかった。

「刹那、おはよう」
「…………」
「朝の挨拶は大事なんだから、ほら、ちゃんとする」

それとも出来ないのか、と煽る様に聞かれうんざりする。
この男は他の二人のマイスターに対してこんな挑発はしない。なのに、俺に対してはわざわざそういった類いの言葉を選んで神経を逆撫でしようとするのだ。売り言葉に乗るほど餓鬼だと思われている。そういう事なのだろう。組織の理念に賛同するなら年齢は関係ないと言っていたのに、年齢に縛られた姿に一番固執しているのはこの男だ。
朝から会ってしまうとはついていない。あのA.I.が見えた時点で目的地を変えておくべきだった。

思考している間もしつこく名前を呼んでくる。立ち止まる事もせず進んでいるというのに声が遠ざからないという事はついてきているのだろう。
いつまでもそうされたら煩くて敵わないので仕方なく足を止めて振り向く。両手を後ろで組んだ男に対して、これみよがしに溜め息を吐いた。

「どこまでついてくるつもりだ」
「刹那がおはようって言うまで」
「……何か用があるんじゃないのか?」
「刹那が挨拶したら言う」
「…………」

折れるまで引くつもりはないらしい。子ども宛ら強情だ。
無視しても良かったのだが用というのが戦況予報士からの要請である可能性も捨てきれない。通信機器類を携帯していない今、自ら確かめる術はなく、この場所だと自室もモニタールームも少々距離がある。一番手っ取り早いのは目の前で駄々を捏ねる男に頼るという方法なのだが。
呆れた息を吐き出す。こちらが譲歩しなければならないらしい。

「……おはよう」
「!良く出来ました」
「それで用は」

今度は年長者宛ら頭を撫でようとする手をすげなく叩き落として、にやけた顔に流されぬよう睥睨する。
苦笑して手を引くと背中に不自然に隠してあった反対の手を突き出した。

「これ」

ひょいと持ち上げたのは機能性の低そうな四角い箱。笊の様に規則正しく隙間なく編んであり、上部には持ち手がついている。
これが何なのか。
見上げると得意気な笑顔がある。それに問いかける。

「これがなんだ」
「わからないか?ピクニック行こうって事だよ」

聞けば見せてきた鞄はバスケットと言うらしく、ピクニックという行為にはつきものなのだそうだ。
ピクニック。聞いた事がない。
どうやって使うのかはよく分からなかったが、要するに。

「ミッションではないのだな?」
「ミッションではないなぁ」

くだらない。実にくだらない。時間を大分無駄にした。
大概有耶無耶の内に終わるこの男の計画に付き合う義理はない。
横を通り過ぎようとすると制止の声がかかるが、腕を掴まれる訳でもなかったので止まらず首だけで応じる。

「断るのはまだ早いと思うぜ?」
「?」

そういって投げて寄越したのは通信機の端末。受け取ってから目を上げると、再生してみろ、と示してきた。
電源を入れる。勝手に再生される録画記録。そこに映ったのはざんばらの黒髪に眼鏡をかけた、よく見知った技術者。少しひきつった様な笑顔でこちらを見ている。

「えー、と、刹那、見てるか?」

かの技術者が他者を介して連絡してくるのは珍しい。いつもなら、例え機体に搭乗する本人でも聞かなければ開発の経過さえ教えてはもらえないし、連絡してくる時は完成した後に直接本人個人の端末に伝言なりをしてくる。
不思議には思ったが引き攣った笑顔が全てを物語っている様に思えて、一つ頷き一方的な録画画面に先を促した。

「えー、あのな、ロックオンのお願いをきけたら、エクシアの反応速度に関するバージョンアップを優先してやろうかと思って、な」
「!」
「あ、ロックオンのはあくまでお願いなんだから断っても良いんだからな?嫌だと思ったら遠慮なく断れよ。寧ろ断れ。断るべきだ」

よく考えろよ。それだけ言うと映像は途切れた。黒くなった画面がもう何も写さないのを確かめて電源を落とす。
反応速度に関するバージョンアップ。更に、早く。

「で、どうする?刹那」
「……ピクニックとは具体的にどんな事をするんだ?」

答えを聞いて片方だけ口角を上げて笑った男に反感を覚えたが、技術者の忠告を無視している自覚はあったので胸の内に留めた。
済まない。何にも代えがたいのだ。
心の中でそう呟いた。







――――――――――
バスケット片手に逃避行。一人はピクニックの意味も知らないけど。

























































「ヴェーダ」

淡紅色の球体に文字が走る。視認するより早く脳へと滑り込む情報。その内容に眉をしかめた。

「通過者追跡システム…」

コンピュータや各サーバー等、特定の場所を通った際に通過したものを追跡する機能を有するプログラム。警戒レベルを上げれば隔離対象にもなる、言わばウイルスの一種だ。
ウイルスの類いに引っ掛かった場合、ヴェーダにも迎撃システムはある。それだって各国が機密を蓄積するマザーコンピュータに仕様する壁に見劣りしない、寧ろそれ以上のものを備えている。
しかし害のないものと判断したのだろう。何一つ対策を立てた形跡がないまま放置され、現在に至る。
余りに小さく一般的なそれに引っ掛かるとは思っても見ず、偽装も万全であると思い込んでいた自らの落ち度に舌を打つ。すぐにでもセキュリティレベルの変更と対象の確認をしておかなければならない。

その前に。どこから追われているのだろうか。そもそも相手に追っている自覚があるのだろうか。何にしてもこのソレスタルビーイングのマザーコンピュータが何をしているか知られる事などあってはならない。
赤い目が再び金の色を帯びる。
それと同時にすぅ、とそこに元からあったように、手に乗る程度の赤く透けた球体が現れた。それにペタリと触れる。

「外郭再現率80%、内郭再現率20%未満で構築完了。外郭の防壁レベル、反射率を最大で展開。こんなもので十分だろう」

滑らかに仰ぐと待ちわびたヴェーダから情報の雨が降る。全てを拾い上げてもう一度小さな球体に手を当てた。

「行き先はAEU特務部隊特殊重火器製造機構」

人形宛ら整った顔の口許に酷薄な笑みを刷いて下す命令は体温もなく。
無機質な空間に相応しい冷たさで絶対者の威厳を佩く。

「気付くように稚拙に。そうして仲間同士撃ち合えば良い」

それを合図に小さな球体が現れた時と同様に掻き消えた。
元の静寂が訪れて何事もなく時を刻んでいく。
赤い目も綺麗に閉じられ薄ら赤い空間に白い肌だけが浮かび上がった。







――――――――――
インベーダーでさえ侵食できない。何故なら最強のインターフェアがいるからだ。

























































「アンタは、それで良いのか」
「良いって言ってるだろ?疑り深いな」

それじゃあ許して欲しくなかったみたいに聞こえる。
そう冗談めかして付け足せば、納得も同意もしていない顔でそっぽを向いた。
みたい、なんかじゃない。実際にその通りなんだろう。
過去の罪の被害者が目の前にいる。いつか予想してただろう未来が、思わぬ形であれ具現化した。
罪には罰を。
被害者には加害者を断罪する権利があると、少年の中に構築された固定観念が、取れない汚れのようにこびりついている。こそげ落とす努力もせずに、広がっていくのを見過ごしたままで。
そんなの怠慢だ。心の裡で、無意識の内で、望んでいるからこそこの結果がある。
少年は罪を断罪されたかったんだ。もう長い間、それを待っていた。顔にそう書いてある。
罰してほしいんだろう。お前の願いはいつだって叶えてやりたいけど。
ニコリと笑顔を浮かべて、大分低い位置にある頭に手を置く。通り過ぎた衝動をやり過ごして、わしゃわしゃと犬にでもするように乱暴にかき混ぜた。

「なら、この話はオシマイ。それで良いだろ?」

赤い目がこちらを見る。綺麗な赤は切れ味の良いナイフみたいだ。こちらの隙を伺っていて気を抜けばぐさり。急所をついてくる。
それがわかっているから、盾になる笑顔をすっぽり被って完全防備だ。
一筋縄でいく他の奴等と一緒にしないでもらいたいね。そんなステレオタイプじゃ残らねぇだろ。
抉って刺して切り裂いて出来た傷なんて、見た目の派手さの割に軽症だ。綺麗な切り口なんか放っておいてても治っていく。
そんなんじゃなくて。内側の届かないトコで膿んで腐って疼く方が余程重症。
一時の痛みなんかいらない。後に後に引き摺るように、いつまでも居座ってやる。
謝罪なんて受け取らない。代わりに断罪もしてやらない。
だから。







――――――――――
長く長く、その心にいる。
それを赦して。




























































SEO [PR] おまとめローン 冷え性対策 坂本龍馬 動画掲示板 レンタルサーバー SEO